先日、出雲に行きました(2) 出雲大社を久しぶりに訪れました

 先日、友人のつっちゃんと、出雲に行きました。そのときの足どりを....

 出雲大社に出かけるのは、かなり久しぶりです。いずれここで紹介しますが、今回も現地で素晴らしいジャズを聞かせてくださった、金澤さんに案内してもらって以来でしょうか。20年ぐらいは前? それより前も一度、昔、長年つきあっていた人との最後の旅行が出雲。これが30年以上前となります。

 最初に行った時に比べると、遠い記憶ではありますが、整然とした街並み、参拝道に整備された印象が強いです。京都の神社とはまた違った品格があります。

 大社の参拝道は、最初の写真でもわかるように、今や門前町のはずれにある大鳥居から神域に近い場所に至るまで、幾つか上下を繰り返す傾斜があります。広々とした道に手をかけた植栽と丁寧に掃かれた石畳が、官幣大社の中でも特別な存在であるこの大社の雰囲気を造っている感じがします。

 出雲大社は因幡の白ウサギで親しまれる逸話を持つ、大国主命を祭る神社。「国譲り」の伝承があり特異な位置づけです。現在の皇室、歴史上に大和・京都の朝廷とは違う異なる流れがあったことを感じさせるものがあります。

 天皇家も畏敬というか、あるいは歴史上の位置づけが頭から離れないから感じるのでしょうか、畏怖して祭るというか、ちょっと雰囲気が、他の神社・神宮とは違いますね。

 その印象を強くするのが高さ24mあるという本殿。その巨大な大きさに加えて大社造という高床式住居を思わせるデザインが見る人に強烈な印象を残すようですが、玉垣、瑞垣、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されていて、一般拝観の私たちにはあまり大きさの実感がありません。昔は48mもあったとか、それどころか96mもあったとか、色々な説があり、近年に大きな建築材が発掘されたこともあって、話題となっています。今の技術をもってしてもこの形に丸太で基礎を作って96mにするのはちょっと??と思いますが、太古のエネルギーが感じられるお話しで、心惹かれるものがあります。

 先に触れた歴史的経緯もあって、ローカルなルールが幾つかあります。入口は神社の本殿の常ではなく、高床式の住居に習ってか西面していること、また、礼拝の際も二拝四拍手一拝の作法で拝礼するといったようなことも。


 興味深く思ったのは、雨曇りの空から、やや持ち直してきた青空の中にたなびく日の丸した。大社の敷地内には、さざれ石も置かれており、さすが、国の基の精神的基盤の地という印象でした。

 私のような基督教徒には、国旗と神道・神社とが密接につながっているとは、あまり思いたくはありませんが、思っている方には特別な感慨、あるいは当然の光景ということになるのでしょう。

 失礼な言い方かもしれませんが、こういう、俗に言うと日本のパワースポットに行くと、私のようなものでも、心洗われる気がします。これはいまや日本人のDNAとかたづけられる時代ではないようで、白人の男性やアラブ系の外観の女性もおごさかな姿勢で立ち止まって本殿を眺めておりました。信じる信じないとは違うチャンネルの感性でも、響くものがあるのだと思います。


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コウベライフの雑記帳

以前からある「コウベライフ」 http://ktokuri.exblog.jp/ は街グルメ&街歩きなので、 もっと雑然としたことを書いてみようかと思ってます。